〜後〜

「さあ――イタダくぜ・・・お前のカラダを・・・!」

美月の笑いが、それまでで最も残忍な形に歪む。
開いた口の中に、糸を引いた唾液が何本も伸びていた。

「いやああああ!誰か、助けてええええええっ!!」

残っていた理性が、限界を迎えた。
榊は恥も外聞も忘れて、この声が外に届きさえすればと、喉が張り裂けんばかりに悲鳴を上げる。

対する美月は、叫び続けるこちらをじっと見つめながら、ゆっくりと手を持ち上げ、自分の髪の毛を無造作につかんだ。
そのままグイッと、髪をつかんだ腕を乱暴に前に突き出す。
まるで、癇癪を起した子供が人形の首を引っこ抜くような動きだ。

すると突然、美月の体から力が抜けた。
糸が切れた操り人形のよう不自然な格好で床に膝を付き、うつ伏せに倒れ込んでしまう。

「・・・?」

てっきり叫ぶこちらの口を塞ぐために襲い掛かってくると思っていた榊は、信じられない気持ちで動かなくなった美月の体に視線を落とした。
何が起きたのか、まったく把握できない。
それでも、自分がまだ助かったわけではないのは理解していた。

得体の知れない恐怖は、変わらず心の中でグルグルと渦巻いている。
美月がやって見せた不自然な動きが、ものすごく厭なものに思えた。

あの動きを見て感じた自分の嫌悪感の正体を必死で考え――思い至る。
そうだ。
実際に聞こえたわけではないが、何故か榊の頭の中には、美月が自分の髪をつかんで前に引っ張った瞬間、「ズルリ」と言う音と共に爬虫類が脱皮したような 印象イメージを抱いていたのだ。

「あらあら、榊チ〜フゥ・・・いつまで抜け殻を眺めてるんですか〜?うしろ、うしろぉ☆」

不意に水谷に名前を呼ばれ、榊は驚いて美月の体から視線を離した。
抜け殻――やはり、あれはそう言うことだったのか?
どう言う意味か尋ねようと水谷に顔を向けようとした榊だが、そこで全身を硬直させてしまう。

「え・・・?」

何かの気配を背後に感じ、体が竦み上がっていた。
冷たい汗が、頬を伝わる。
後頭部に、生暖かい感触があった。
耳元で聞こえる「ハア、ハア」と言う息遣い。

いや、そうではない。
その音は、実際に鼓膜が捉えたものではなかった。
音なき音。
空気を震わせたものではなく――榊の意識に、魂に、直接吹きかけてきた息遣いだったのだ。

「な、何なのよ・・・!?」

一気に振り向いて、正体を確かめようとする。
しかしその途端に、今度は完全に体が動かなくなってしまった。

背中から伝わってくるおぞましい感触。
ぞわわっと全身に鳥肌が立つ。

頭の後ろ、
背中、
腰。
榊の体を覆い尽くすように、正体不明の存在がぴったりと真後ろにくっついている。
それに抱き付かれ、動きを封じられているのだ。

「ぐ・・・!く、ぅ・・・っ!」

それでもまだ、意識だけはあった。
何とか力を振り絞って、背後に張り付いたモノを振り払おうとする。

――駄目だ、全身が石にでもなったようだ。
指を動かすことすらできない。

「ぁ・・・えっ!?」

ところが、榊の意思に反して突然両手が持ち上がった。
見えない力に引っ張られ、無理やりバンザイをさせられる。
手首に異様な力を感じた。
これは見えない何者かが、自分の手首をつかんで引っ張っているのか?

「ハ――ッ!?」

そう思った途端、持ち上げた両腕の周りの空気が歪んで、そこに誰かの腕が覆い被さっているような気がしてきた。
まさかこれが、幽体人間なのか――?

榊が存在に気付いたのを感じ取ったのか、見えない手の動きが荒々しく変化した。
力任せに壁の方を向かせ、壁面に両手を付かせる。
後ろから抱き締めようと力任せに押され、榊の体が前に傾いた。

「くぅ・・・ひっ!?」

苦痛に顔を顰めると、背中に幽体人間の重さが伝わってきた。
さらに突き飛ばされた様な浮遊感と共に、体に異変が起きたのだ。

「あ、あ・・・っ!?」

突如生まれた熱い感覚。
それは、股間から伝わってきた。
スカートの奥、さらには下着の中に、何かがめり込んでいく感触がある。

「な、に・・・?あっ、やぁっ!」

狼狽える榊が無理やり後ろを向こうとすると、またしても体が突き飛ばされた。
ガクンとつんのめる。
しかし痛さではなく、異常な熱さだけを感じる。

何度も、
何度も、
股間に何かを叩き付けられ、
それが服を擦り抜けて体の奥へと入り込み、
同時に異様な感覚が生まれた。

これは――快感。
間違いない、自分は性的快感を覚えていたのだ。

「やだ・・・は・・・っ!ん、はあっ!」

耐え切れず、口から喘ぎ声が出てしまう。
リズミカルに腰を突かれ、その度に快感が体の中で暴れ回る。
お腹の中で、いやもっとその奥の、自分と言う存在の「核」となる部分を掻き回されているようだ。

「そ、そんな・・・!これって・・・ひぎっ!」

明らかに何か「太い棒状のもの」を突き立てられているのが感触で分かる。
信じられないが、どう考えてもこれは秘所に男性のペニスを突き立てられているのと同じ感覚だった。

自分は立ったまま、幽体人間に犯されているのか!?
先程のデスクで苦しんでいた水谷の姿を思い出す。
まさに自分は、あの時の彼女と同じ目に遭っているのだ。

姿が見えないので確認できないが、幽体人間と言うのは本来の肉体が持つ器官をそのまま備えているのか?
目には見えない、触れもしないのに、向こうからはこちらの肉体に干渉できるなんて理不尽すぎる。
背後に立つ者に非難の声をぶつけたかったが、駆け抜ける快感が思考を散り散りにしてしまった。

「あぁっ!あん、あん、あん・・・はああっ!」

ぱんぱんと、肉を打つ音さえ聞こえてきそうだ。
耳の裏にくすぐったさも感じた。
幽体人間が、舌で舐め回してでもいるのか?
暴力的に肉体を凌辱されているはずなのに、榊の意識は抵抗を訴えても、肉体はそれに反してどんどん昂ぶっていた。

”なんで――こんなにも気持ちがいいの!?”

腰を打つ速度が加速する。
比例して性感がどこまでも膨張していく。

壁に爪を立て、気付けば足が浮き上がり、つま先だけで立っていた。
そんな恰好でも、背後から幽体人間に抱き付かれているからなのか、榊は負担を感じることもなく体勢を維持できていた。

ふと、新たな息遣いがすぐ側から聞こえてくる。
虚ろな目を向けると、いつの間にか足元に水谷がしゃがみ込んでいた。
彼女は発情しきった犬のように声を荒げ、犯される榊の姿をかぶりつきで見入っていたのである。
チノパンツのファスナーを下ろして直接中に手を突っ込み、自分のアソコを攻め立てながら。

「ぐひ・・・!ぐひ・・・!ぐひひひひ・・・!あっ、ひゃあぁっ」

自分の助手に痴態を覗き見され、羞恥心がさらに体の温度を上昇させた。
あまりの高熱に、意識が朦朧となる。
視界がぼやけ、口から垂れる涎を止めることもできない。

体を突かれる度に自分が、自分以外の何かに侵食されていくような畏怖を覚えながらも、もはやまともな判断力はほとんど失われようとしていた。
最後の最後まで、残された榊の意思は抵抗しようと試みていたが――

「あん、あん、あん・・・は――ああああ、あんっ!」

ついに理性が吹き飛び、全身から力を抜いてしまった。
一気に流れ込んでくる開放感。
とどめの一撃とばかりに腰を突かれて体が浮き上がるのと同時に、榊の意識はシャットダウンしたパソコンのように一瞬で闇に閉ざされた。


「――ああ・・・っ、ああ・・・っ、ふう〜・・・!」

金縛りが解けたのか、榊は壁に手を付いた状態で、つま先立ちだった姿勢を元に戻した。
首筋に溜まった汗を拭い取り、鬱陶しそうに振り払う。
顔に張り付いた髪の毛をかき上げ、丸めていた背筋をまっすぐに伸ばす。
その様子に、水谷がにやけた表情で自慰を止めて近寄ってきた。

「げひひ・・・!ようやく乗っ取ったんですね・・・兄貴?」

「・・・おう、思っていたよりも相性がいいみたいだぜ、このボディ」

声をかけられ、口の端を吊り上げるようにしてニヤリと笑う榊。
その表情は、先程までの美月の表情とよく似ていた。
太陽にかざすように手を持ち上げたかと思うと、今度は準備運動のように腿上げを行う。

体が自分の思い通りに動くことを確かめているのか。
水谷の言葉通り、榊は幽体人間に完全に肉体を掌握されてしまったようだ。

それが証拠に、タイトスカートを履いた股間をひくひくと前後に震わせていた。
幽体人間が取り憑いた何よりの証である。

「・・・しっかし兄貴もホント物好きですよね〜?何もあんな時間かけなくても、簡単に乗っ取れたでしょうに」

「分かってねえなあ、お前は・・・獲物を徹底的に追い詰めて、絶望に染まる表情を眺めるのが最高に楽しいんじゃねえか・・・!」

榊は残忍な笑みを浮かべたまま、獰猛に舌なめずりをした。
そのままグイッと、水谷の体を乱暴に抱き上げる。

「へへ・・・っ、ようやく上司と部下の関係になれたってワケだ・・・おお?白衣の上からじゃ分からなかったけどそのボディ、意外と肉付きがいいじゃないか」

「ぐひひ・・・そっちは折れそうなくらい華奢じゃないですか・・・あっしはリケジョってヤツに目がないんすよ・・・あぁん、榊お姉さまぁ〜ん♪」

「うふふ、いらっしゃい子猫ちゃん・・・」

幽体人間たちは突然本人たちになりきり、唇を重ね合わせた。
職場での禁断の愛に溺れる上司と部下と言う設定の芝居を始めたのだ。

「んむ・・・ふぁ・・・っ」

「じゅるっ・・・ちゅぱぁ・・・っ」

舌と舌を絡め、体を擦り合わせて互いの乳房を弄る。
視界一杯に広がる相手の欲情した表情。
甘い吐息が顔に吐きかけられ、それを吸い込むとまるで催淫剤のように体が火照りだした。
興奮のあまり、水谷が我慢できずに押し倒そうとしてきたが、榊がそれをこともなげに振り払い、口を引き剥がす。

「ぷは・・・っ、そこまでだ。楽しむのは後にして、とっとと仕事を終わらせるぞ」

「ええ〜?もう、兄貴は淡泊なんですよね〜・・・この状況であおずけを食らわせるなんて、性格悪すぎですよぉ・・・!」

「プロらしいと言え。オラ、道具の用意だ」

不服そうに唇を尖らせる水谷に指示を飛ばし、榊は妖艶に腰を振りながら、金庫の前へと移動した。
金属製の扉を上から下まで、じっと見渡す。

中央に設置された網膜認証装置。
さらには暗証番号を入力するテンキーも付いている。
重要部品を保管するのにふさわしい厳重な設備だ。

「へへ・・・っ、それじゃあ開発チーフ様には、もう少し仕事を頼もうかね・・・?」

金庫を見たまま、榊がゆっくりと息を吐き出した。
腰の動きが速度を緩めていき――最後には、停止する。

「むひひ!始まったよ・・・兄貴の悪い癖が」

備品棚の前で何やら物色していた水谷がそれを見据え、意地悪そうにほくそ笑んだ。
すると、榊の様子に変化が起きる。

「・・・ぇ・・・あれ・・・?」

目を瞬かせ、左右を見る。
次に視線を下げて自分のいる場所を確かめ、そこでようやく驚いた顔を浮かべた。

「ど、どうなっているの・・・私・・・!?」

榊が震える声で、誰にともなく叫んだ。
必死の声色は幽体人間に言わされているのではなく、彼女自身が発しているように聞こえる。
突然意識が戻ったのだろうか?

「ぎひひ・・・安心してくださいよ、榊チーフ・・・アンタはまだ、兄貴にカラダを乗っ取られていますぜ〜!」

パニックに陥っている榊に向かって、水谷が呼びかける。
そちらを向こうとするが、首を動かそうとしても、体はピクリとも動かなかった。

「な・・・なんで!?」

「無理無理、いくら頑張っても体は動きませんって!意識は戻っても、肉体の支配権は依然兄貴にあるんすから!」

表情以外を動かすことができない。
首から下を紐か何かで雁字搦めにされたようだ。
榊の混乱を面白そうに見物しながら、水谷が説明を始めた。

「まあ、あっしも兄貴からの受け売りなんで、よく理解はしてねえんですがね・・・あっしら幽体人間は、他人の幽体に接触することで、その幽体を自分の一部に同化できるらしいんです・・・今、そうやって兄貴がチーフの背中に張り付いているのは、アンタの肉体の「操縦権」を奪うためなんですよ」

水谷の説明を証明するように、榊の足が独りでに動き出した。
ズンズンと、ものすごいスピードで金庫の扉に突き進んでいく。

「きゃっ!?いや・・・!」

ぶつかりそうな勢いに、榊は目を瞑って歯を食いしばった。
しかし直前で歩みが止まり、続いて体がその場で一回転をした。
恐る恐る目を開けると、自分はいつの間にかスケート選手のフィニッシュポーズのような恥ずかしい格好を取っていたのだ。

「何なの・・・これ・・・?」

「ぐひひひひ・・・これで分かったでしょう?今やアンタの身体が、アンタの支配下にないってことが」

姿勢が戻り、体が勝手に肩を竦めてみせる。
まるで、子供の頃にTVの演芸番組で観た二人羽織のようだ。
違うのは、他人に動かされているのが「榊自身の肉体」であると言うことだ。

「そして意識を奪うには、幽体の「一部」を相手の幽体に直接「挿入」する必要がある・・・兄貴がどうやってチーフの意識を乗っ取ったのか――あんないい思いをしたアンタには、もう言わなくても分かるでしょう〜?ぎひひひひ!」

水谷が目を細め、性犯罪者のように表情を卑猥に歪めた。
やはり、先ほど体を突かれていたのには、そう言う意味があったのか。
あれは――幽体の肉棒だったのだ。

榊の意識がなかったのは、幽体人間とずっと『結合』していたからなのか!
あまりのおぞましさに、気が狂いそうになる。

「つ、ま、り・・・現在アンタは「股間だけ」を解放されたおかげで、そうやって意識を取り戻しているんですよ・・・ほら、意識を集中してみな?幽体と幽体は触れ合っているんだ、兄貴の声が聞こえてきますぜ・・・!」

じっとしていても、体が動く気配はまったくなかった。
仕方なく榊は、水谷に言われた通り意識を研ぎ澄ませた。
途端に、背後に立つ者の気配を、今までよりもはっきりと強く感じ取った。

「!?」

(よう、榊開発チーフ・・・ようやくアンタとこうして喋ることができたなぁ?)

相変わらず振り向くことはできないが、初めて耳にする男の声が、自分のすぐ後ろから聞こえてきた。
酷く掠れた、耳障りな声だ。
これが、自分を乗っ取った幽体人間の声なのか。

「お、お願いよ・・・私の体を解放して!」

榊は目だけを後ろに向けようとしながら、背後に立つ者に懇願した。
しかし心に響く相手の声は無情だった。

(駄目だね。あんたにはまだやってもらうことがある)

「そんな――!」

(オラ、金庫の暗証番号を教えな。入力は俺が直々にしてやるよ)

「く・・・っ!」

片手が持ち上がり、指がうねうねと蠢いている。
幽体人間の要求に対し、榊は開発担当者としての最後の抵抗で、口を噤んだ。

(ほぉ・・・言わないつもりか?何ならこのまま外に出て、衆人観衆の前で素っ裸にでもなってやろうかねぇ・・・?)

「や、やめてぇっ!」

その場でブラウスのボタンを外されそうになり、榊は泣き叫んだ。
体を乗っ取られた直前の絶望感を思い出す。
今や自分にとって、、肉体そのものが人質なのだ。

(だったら素直に言うことを聞けっての。ったく、聞き分けのない女だぜ・・・)

「う、ううぅ・・・っ!」

身体を支配されている限り、榊に選択の自由はない。
涙を流しながら、途切れ途切れに暗証番号に設定した数字を順に声に出す。
自分の指がその通りにテンキーを押していった。

(よし、それじゃあ次は・・・)

「ひっ!」

番号を打ち終えた手が、今度は榊の後頭部をつかんだ。
力任せに前に押され、扉中央部の網膜認証装置に顔を擦り付けられる。

「ぐ・・・うう・・・っ!」

装置のモニタが目の部分に来るよう位置を調整される。
センサーが起動し、榊の網膜をレーザーが読み取っていく。
榊は自分の手と扉に挟まれ、顔が押し潰されそうになっていた。

数秒も経たずに、認証が完了した音が鳴り響く。
ようやく頭をつかんでいた手が離れ、金庫の扉のレバーをつかむと、それは何の抵抗もなく横にスライドした。
ぷしゅうっと、金庫内の空気が漏れる音と共に、扉が重々しく開いていく。

中に足を踏み入れ、内部を物色するように首が左右に動く。
まだ世間に発表されていない、様々な製品の試作が所狭しと保管されていた。
他社の人間が見たら、宝の山に思えただろう。

一番手前の台座の上に、クリアケースと緩衝材で守られた、切手ほどのサイズの小さな部品が置かれているのがすぐに目に留まった。
間違いなく、榊が開発したCPUだ。

(ご苦労様、これでアンタは用済みだ・・・さあ、おねんねの時間だぜ・・・)

「ま、待って!これ以上、わたしの体で犯罪を犯さない――あはぁっ!?・・・ふうっ、本当にギャーギャーと喧しい雌犬だ・・・!」

榊は命乞いをする勢いで心に響く声に訴えたが、ビクンと腰を大きく前に突き出したかと思うと瞬時に雰囲気が変わり、首を摩りながら吐き捨てるように口を歪めた。
再び幽体人間に結合されたのだ。
本来ならば、こうして一瞬で肉体は乗っ取れるのだろう。
それをあえて、犠牲者が苦しむ姿を飽きるまで見続けるために、榊はじわじわと体を犯されていったのだ。
実に非道な行いである。

「よし・・・ブツを確保したぞ。おい――」

「へい、ここに」

CPUが入ったケースを慎重に手に取り、榊が目配せをする。
すぐに水谷が両手に何かを抱えながら、重そうな足取りで金庫内までやってきた。
持っているのはジュラルミンケースだ。
開発した製品などを外に持ち出す時に使用するものなのだろう。

床にケースを置き、錠前を外して蓋を開ける。
榊から渡されたCPUをケースごと中に仕舞い、周りにも緩衝材を敷き詰めて、再び鍵をかける。
持ち上げたまま上下に揺すり、中のケースが動かないことを確認して、水谷は榊に頷いて見せた。

「OKです、兄貴」

「・・・撤収するぞ」

金庫を出て行く榊の後を、水谷が再び重い足取りで追う。
ケースは特注使用で重量もあるようで、研究畑の彼女の筋肉ではかなり辛そうだ。

「よ、っと・・・まあ、あっしらにかかればこんな仕事、屁みたいもんでしたね・・・?ぐひひ」

「――ちょっと、待て」

手に持つケースの重みに顔を顰めながらも、しっかりと腰を揺するのは忘れない水谷だったが、榊が片手を上げて立ち止まった。
横にある壁を、じっと睨みつける。
周囲は入り口に近く、機材の出し入れなどがある為、物をぶつけても大丈夫なようにステンレスで補強されていた。
榊はそのステンレス製の壁に鏡のように映る自分たちの姿を、じっと見つめていたのだ。

「兄貴・・・?」

「・・・「俺」と「お前」が揃って外出しようとしたら、誰かに呼び止められるかもしれん。新製品のお披露目が間近のせいで、どいつもこいつも気が立っているからなあ・・・」

不思議そうに様子を伺ってくる相棒と自分の姿を、交互に見比べる。
確かに警備が厳重になっている今、研究スタッフが大事そうに荷物を抱えて歩いていたら、警備員たちは何事かと思うだろう。

「イチイチ怪しまれたら面倒ってことすか?心配性すぎじゃありませんかねぇ・・・どう見ても本人なんだから、いくらでもごまかせるでしょうよ」

「常に不測の事態に備えるのが俺たちの仕事だ。もしもの場合、こいつらのボディで重いケースを持って逃げるのは得策じゃねえ」

「・・・だったら一体、どうするんで?」

「問題ない。解決策なら・・・オラ、そこに転がっているじゃねえか」

要領を得ない水谷に聞かれ、榊は自分たちがやって来た背後を顎で指し示した。
彼女が指した先にあるものは――倒れた美月の身体だ。
幽体人間の呪縛から解放された今も、まだ意識は戻っていないらしい。
死んだように倒れ伏したままの美月を見た水谷が、自分が兄貴と呼ぶものが言わんとしていることを察して顔を綻ばせた。

「な〜るほど!あっしがあのボディに移動すればいいってことっすね?」

「そう言うことだ・・・もしも警備員に怪しまれたところで、連中の上司が同道していれば、適当な理由をでっちあげたとしても説得力が生まれるだろう?」

「さっすが兄貴、抜け目がない!では、早速・・・」

そう言うなり、水谷は自分の髪の毛を無造作につかんで前に引っ張った。
ガクンと全身から力が抜け、脱ぎ捨てた服のように床にくずおれてしまう。
榊は意識を失った助手を助けることもせず、腕を組んだまま動かない女たちの体を順に見比べている。

すると、美月の方に変化が起きた。
まるで見えないワイヤーにでも引き上げられるように、腰が独りでに浮き上がったのだ。
うつ伏せの格好のまま、上に突き出した尻がビクッと小刻みに震える。

「ん――あはぁっ」

その途端に、意識のなかった美月が息を吐き出し、低い声で喘いだ。
力を抜いたままの両腕が上に引っ張られ、続いて体が起き上がってくる。
まさにそれは、人形使いに操られる人形のようだ。
不可視の糸に吊るされて不安定な姿勢で立った体が、感電したように激しく痙攣した。

「あ、あっ!・・・ふうっ、移動・完了・・・!」

艶めかしい息を吐き出しながら、焦点を合わせるように瞬きを繰り返したと思ったら、たちまち顔をくしゃくしゃに歪めた笑みを浮かべる。
美月はクールな雰囲気を台無しにする勢いで腰を跳ね上げながら両手でガッツポーズを取ると、軽やかな足取りで榊の側に駆け寄ってきた。

「お待たせしやした!はあ〜・・・何だか、さっきまで張り付いていた兄貴の残り香が漂っているようですぜ〜♪」

「馬鹿野郎、気持ち悪ぃこと言ってんじゃねえよ」

「ぐひひひひ・・・!」

制服の上から自分の体を撫で回しながら身悶えだした美月は、榊に冷たくあしらわれてヒクヒクと鼻を上下に動かしておどけた。
本来の彼女とも違う、先程までの不遜な雰囲気とも違う、路地裏にでもいるような柄の悪いチンピラのような口調。
先程までの水谷と瓜二つの人格だ。
この場に何も知らない第三者がいれば、僅かな時間でたちどころに雰囲気を変えてみせる美月を、名女優のように思うかもしれない。

2人は意識のない水谷と放置されたままだった警備員――成瀬に近付くと、備品棚にあった適当な布で猿轡を噛ませ、手足をロープで縛り上げた。
そのまま金庫内へと運び込み、扉を閉めてしまう。

「・・・これで、多少は時間が稼げるだろう」

「まあ、この女どもが発見されたところで、あっしらの存在が割れる心配はありやせんがねぇ・・・ひひひ」

「そんなことより、ケースを持ってこい」

「っと、そうでやした・・・おお?さっきとは大違いだな、こりゃ・・・!」

榊に注意され、美月はすぐさま床に放置していたジュラルミンを回収した。
鍛え上げた彼女の肉体は水谷とは筋力が全然違うようで、片手で楽々と持ち上げられることに自分で驚いている。

「・・・準備はいいか?」

「へい、いつでも!」

「よし・・・今度こそ撤収だ」

はしゃぐ美月に声をかけ、榊は電子錠を操作してロックを解除すると、扉を開けて通路へと出て行った。
後を追った美月が、彼女の横に従者のように寄り添う。

「ルートはどうしやす?資材搬入口なら比較的警備は薄かったはずですぜ」

「今のこいつらの姿じゃかえって怪しまれる・・・な〜に、堂々と正面から出て行けばいいのさ」

2人は小声でぼそぼそと相談をしながら、傍目には研究スタッフとそれを護衛する警備班長と言う皮を被って通路を突き進んだ。
――ほどなくして、先程の榊の心配が杞憂でないことが証明された。
数mも進まない内に、通路の角で一人の警備員と鉢合わせてしまったのだ。

「ああ、美月班長・・・何か、あったのですか?」

シフトは基本2人制なので、おそらく巡回を行っているわけではなく、これから勤務に入る交代要員なのだろう。
現れた警備員は2人の顔と手に持つジュラルミンケースに目を留め、異常でも発生したのかと表情を険しくした。

「――ご苦労様。たった今連絡があって、新製品に関する確認事項のため、榊チーフはすぐに本社に行かなければならなくなったの。念のため、私が同行するから・・・後のことは、指示を出しておいた他の班員に確認をして頂戴」

それに対し、美月は澄ました顔でペラペラと適当な話をでっちあげた。
一瞬前まで山賊のように粗野な振る舞いをしていた者が、今はどう見ても警備班長としか思えない生真面目な表情を浮かべている。

「分かりました。お気をつけて」

案の定、相手は疑いもせずに美月の嘘を信じ込んだ。
横にいた榊も澄ました顔で頭を下げ、そのまま2人は見送る警備員の横を通り抜ける。

ちなみに、彼ら幽体人間は相手の意識を乗っ取る為には幽体の一部を相手と同化させなければならない為、ペニスを挿し込んだ状態を維持するには、常に腰を振っていなければならないのだが――
今は両者とも、歩調に合わせて腰を緩やかにくねらせることで、通りかかった人間に怪しまれないようにしていた。

角を曲がり、相手が遠ざかったことを確認した女たちは、それまでの毅然とした仮面を引き剥がしてゲラゲラと笑いだす。
同時に、今までの分を取り戻すように腰を高速で振りだした。

「あ、あん・・・っ!くふっ、お前も中々芝居が上手くなってきたじゃないか!今の切り替えしは中々のものだったぞ?」

「あへ、あへ・・・!ぐひひ・・・そりゃあ、もう!いつも兄貴のすぐ側で勉強させてもらってますから、この程度のことは朝飯前でさぁ!」

榊の賞賛に、美月は揉み手でもしそうな勢いでへりくだった。
とても彼女の部下たちには見せられないみっともない姿である。


――その後、2人は誰にも見とがめられることもなく、腰をくねらせたまま、互いの体を触り合いながら、研究フロアを抜け出すことに成功した。
施設から外に出る際にはしっかりとIDカードで退出した記録を残したまま、適当な社用車を盗んで夜の闇へと消えたのだ。

牧原達との連絡が途絶えたことに気付いた者がようやく事態を把握した時には、すでに榊設計主任の行方は誰にも分からなくなっていたのである。
事件が明るみになったことで、予定されていた新製品の発表会は中止せざるえなくなり、企業は大きな痛手を被ることとなった。

そして事件から一ヶ月後、
複合企業マーズコーポレーションから、画期的な性能を誇った新型CPUが発表されたのである――――


<了>



・本作品はフィクションであり、実際の人物、団体とは一切関係ありません。
・当作品の著作権は作者が有するものであり、無断に複製、転載する事はご遠慮下さい。
・本作品に対するご意見、ご要望があれば、true009@mail.goo.ne.jpまでお願いします。

 戻る

inserted by FC2 system